– 義経と弁慶の感動の物語 –
歌舞伎の演目の中でも特に人気が高く、日本を代表する古典芸能の一つとして知られる「勧進帳」。この物語は、源義経と武蔵坊弁慶の主従の絆、そして忠義と人情が交錯する感動的なドラマです。
「勧進帳」の物語は、源平合戦後を舞台としています。かつて平家打倒に大きな功績を挙げた源義経は、兄である鎌倉幕府将軍・源頼朝との不和により、謀反の疑いをかけられ追われる身となっていました。義経は、忠実な家臣である武蔵坊弁慶や四天王たちとともに、奥州(現在の東北地方)を目指して逃避行の途中にありました。一行は山伏(修行僧)に変装し、義経自身は荷物持ちに姿を変えて旅をしていました。
物語の始まり
物語は、義経一行が加賀国(現在の石川県)にある安宅の関に到着するところから始まります。この関所は、鎌倉幕府が義経たちを捕らえるために新たに設置したもので、関守の富樫左衛門が厳重に警護していました。富樫は、山伏姿の義経たちを捕らえるよう命令を受けていましたが、一方で高僧たちを敬う気持ちも持ち合わせていました。そんな中、山伏に扮した弁慶を先頭に、義経一行が関所に姿を現します。富樫は、山伏たちに対して通行を拒否します。しかし、弁慶は冷静に対応し、一行が焼失した東大寺の再建のために勧進(寄付集め)の旅をしていると説明します。富樫は弁慶の話に興味を示しますが、同時に疑いの目も向けます。そこで富樫は、弁慶に勧進帳(寄付の趣意書)を読むよう命じます。これは弁慶にとって予想外の展開でした。当然、本物の勧進帳など持っていない弁慶。
しかし、彼は冷静さを失わず、機転を利かせます。荷物の中から適当な巻物を取り出し、それを勧進帳と偽って読み上げ始めたのです。弁慶は、まるで本物の勧進帳を読んでいるかのように、流暢に文言を暗唱していきます。その姿は、不動明王の形相さえ思わせるほどの迫力がありました。富樫は弁慶の読み上げる内容に感心しつつも、なおも疑いを捨てきれません。そこで、巻物の中身を覗き込もうとしますが、弁慶はすかさず体の向きを変え、富樫に中身を見せないよう巧みに立ち回ります。弁慶の機転と演技に感心した富樫は、一行の通行を許可しようとします。
しかし、ここで思わぬ事態が発生します。富樫の部下の一人が、荷物持ちの強力が義経に似ていると進言したのです。この瞬間、義経一行の運命は風前の灯火となります。富樫は再び厳しい態度に戻り、一行を呼び止めます。追い詰められた弁慶は、ここで驚くべき行動に出ます。
彼は、主君である義経を「下郎」呼ばわりし、杖で激しく打ちすえ始めたのです。「この荷物持ちが、ぐずぐずしているから疑われるのだ!」と怒鳴りながら、弁慶は義経を容赦なく打ちます。この行為は、家臣が主君に対して決して許されないものでした。弁慶はこの非道な行為によって、強力が義経ではないことを証明しようとしたのです。弁慶の行動を目の当たりにした富樫は、深く感銘を受けます。家臣がここまで主君のために身を挺して尽くす姿に、富樫の心は大きく揺さぶられました。富樫は、自分が処罰される覚悟で、義経一行の通行を許可することを決意します。「早まってはいけません。もしその男が義経なら、あんなになぐったりすることはできないはず。家来の見まちがいでした。今はうたがいも晴れました。どうぞお通りください」と富樫は言って、一行を通すのでした。
義経と弁慶の絆
危機を脱した後、弁慶は涙ながらに義経に許しを乞います。主君に対して無礼を働いたことへの深い後悔と罪悪感に苛まれていたのです。しかし、義経は弁慶を叱るどころか、深く感謝の意を表します。義経は弁慶の手を取り、これまでの戦いの思い出や、自らの身の上の悲しさを語り合います。二人の絆の深さが、ここで改めて浮き彫りになるのです。
師弟関係の信頼の深さが私もかなり好きなシーンです。

物語の終盤、富樫は一行に酒をふるまい、宴の場を設けます。ここで弁慶は「延年の舞」を披露します。この舞は、危機を脱した安堵感と、これから続く旅路への決意が込められた、感動的な場面となります。最後に、弁慶は笈(おい)を背負い、富樫や神仏に深く感謝の意を表します。そして、主君義経の後を追って、勇ましく立ち去っていきます。この場面で弁慶が見せる「飛び六方」という特殊な歩き方は、勧進帳の中でも最も有名な見せ場の一つです。
「勧進帳」の魅力
「勧進帳」の物語には、いくつもの魅力的な要素が詰まっています。まず、弁慶の機転の利いた行動と、富樫との緊迫したやり取りは、観客を釘付けにする迫力があります。弁慶が偽の勧進帳を読み上げる場面や、義経を打擲する場面は、歌舞伎ならではの様式美と、俳優の卓越した演技力が光ります。また、義経と弁慶の主従の絆、富樫の人情味ある判断など、人間ドラマとしての深みも持ち合わせています。特に、弁慶が義経のために身を挺して尽くす姿は、日本人の心に深く響く忠義の精神を体現しています。さらに、「勧進帳」には歌舞伎特有の見得や所作が随所に盛り込まれています。「天地人の見得」「不動の見得」「元禄見得」「石投げの見得」、そして最後の「飛び六方」など、歌舞伎の様式美を堪能できる演目となっています。

歌舞伎十八番としての「勧進帳」
「勧進帳」は、七代目市川團十郎によって「歌舞伎十八番」の一つに選ばれました。歌舞伎十八番とは、歌舞伎の代表的な演目18作品を指し、特に團十郎家に伝わる重要な演目群です。興味深いのは、他の17演目が歴代の團十郎が演じたものであるのに対し、「勧進帳」だけは能の「安宅」をもとに新たに作られた演目だということです。これは、七代目團十郎が原点に立ち返り、能を直接歌舞伎化しようとした結果だと言われています。
結びに
「勧進帳」は、400年以上の歴史を持つ歌舞伎の中でも、特に人気が高く、日本文化を代表する演目の一つです。その魅力は、時代を超えて多くの人々の心を捉え続けています。物語に込められた忠義と人情、緊迫感あふれる展開、そして歌舞伎ならではの様式美。これらが見事に調和した「勧進帳」は、日本の伝統芸能の素晴らしさを体現する作品と言えるでしょう。機会があれば、ぜひ実際の舞台で「勧進帳」をご覧いただき、その感動を直に体験してみてください。