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歌舞伎十八番「鳴神」の魅力

■雑記

– 色と欲に翻弄される高僧の物語 –

歌舞伎の世界には、数多くの名作が存在しますが、その中でも特に人気が高く、代表的な演目として知られているのが「歌舞伎十八番」です。「鳴神」は、元禄時代に生まれた物語です。1684年(貞享元年)の正月、初代市川團十郎が三升屋兵庫の名で台本を書き、江戸中村座の『門松四天王』において上演したのが始まりとされています。その後、様々な改変を経て、1742年(寛保2年)に大坂で上演された『雷神不動北山桜』が現在の「鳴神」の原型となりました。七代目市川團十郎によって歌舞伎十八番の一つに選ばれた「鳴神」ですが、その後、九代目團十郎が自分の柄に合わないとして演じなかったため、上演が途絶えていた時期もありました。しかし、1910年(明治43年)に二代目市川左團次が岡鬼太郎と提携し、演出を改めて上演に漕ぎ着けたことで復活を果たしました。

物語のあらすじ

世継ぎのない天皇からの依頼を受けて、鳴神上人は戒壇建立(僧侶となる受戒を行う壇上)を約束に皇子誕生の願かけをして成就させます。しかし、当の天皇が戒壇建立の約束を反故にしたため、怒った上人は呪術を用いて、雨を降らす竜神を滝壺(志明院)に封印してしまいます。その結果、雨の降らぬ日が続き、やがて国中が干ばつに襲われ、民百姓は困り果ててしまいました。この状況を打開するため、朝廷は女色をもって上人の呪術を破ろうと計画を立てます。

朝廷は、内裏一の美女である雲の絶間姫を上人のもとに送り込みます。絶間姫は、亡き夫の形見の衣を洗いたいという口実で、鳴神上人の庵を訪れます。絶間姫は、夫との馴れ初めを面白おかしく語り、その魅力的な姿で上人の心を揺さぶります。上人は、生まれて初めて女性の姿を見、その美しさに心を奪われていきます。絶間姫の色仕掛けにはさすがの上人も抗しきれず、思わずその身体に触れてしまいます。初めて知る女性の肌の柔らかさに、上人は次第に自制心を失っていき、絶間姫は夫婦の盃と称して上人に酒を勧めます。生まれて初めて口にする酒に、上人はたちまち酔いつぶれてしまいます。上人が眠り込んだ隙を見計らって、絶間姫は滝壺に張ってある注連縄を切ります。すると封印が解け、竜神がそこから飛び出します。一天にわかにかき曇り、やがて豪雨となって降り出します。雨の音に飛び起きた上人は、やっと騙されたことに気づきます。絶間姫が朝廷から送り込まれた宮廷一の美女だと知り、上人は烈火のごとく怒ります。髪は逆立ち、着ているものは炎となって、上人は絶間姫を逃さじとその後を追いかけます。

「鳴神」の見どころ

「鳴神」の魅力は、色気たっぷりの前半と、荒々しい後半のコントラストにあります。絶間姫が上人を誘惑する場面では、女方の色気の表現が存分に発揮されます。一方、騙されたことを知った上人の怒りの演技は、歌舞伎の荒事の醍醐味を味わうことができます。「鳴神」は、道心堅固なはずの高僧が、美女の誘惑に負けてしまうという、人間の弱さを描いた作品です。上人の純粋さゆえの脆さが、観客の共感を呼びます。

「鳴神」の解釈

鳴神上人は、幼少の頃より女性の身体に触れるどころか、その姿も見たことがない純粋な存在として描かれています。その無垢さゆえに、上人には強い法力が宿っているのです。絶間姫は、鳴神上人にとって「初恋の人」とも言える存在です。宮廷一の美女が全ての魅力を持って誘惑するのですから、無垢な心を持つ上人が抵抗できるはずもありません。そして、心から絶間姫に恋してしまったからこそ、その純粋な気持ちを裏切られた時の怒りは、雷の化身となって表現されるのです。

「鳴神」は、人間の欲望と理性の葛藤を描いた普遍的な物語です。高僧といえども人間である以上、欲望から完全に逃れることはできません。その人間らしさが、観客の共感を呼ぶのでしょう。また、権力(朝廷)が美女を利用して高僧を堕落させるという展開は、権力と欲望、そして個人の信念の関係性は、時代を超えて人々の関心を集める主題と言えるでしょう。

まとめ

歌舞伎十八番の一つ「鳴神」は、色気と荒事が絶妙に融合した作品です。美女の誘惑に負けてしまう高僧の姿は、人間の弱さを赤裸々に描き出しています。同時に、騙されたことを知った時の怒りの演技は、歌舞伎の荒事の醍醐味を存分に味わうことができます。「鳴神」は、人間ドラマが絶妙に絡み合った、古典歌舞伎の魅力が詰まった作品と言えるでしょう。現代に生きる私たちにも、深い示唆を与えてくれる名作なのです。歌舞伎を観る機会があれば、ぜひ「鳴神」をお楽しみください。きっと、歌舞伎の奥深さと人間ドラマの普遍性に、新たな魅力を発見することができるはずです。

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