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蛇にちなんだ歌舞伎と能の演目解説

■蛇年の魅力

日本の伝統芸能である歌舞伎と能には、蛇をモチーフにした魅力的な演目が数多く存在します。これらの演目は、人間の感情や欲望、そして超自然的な力を表現する上で、蛇という象徴的な生き物を巧みに用いています。今回は、代表的な蛇にちなんだ演目をいくつか紹介し、その魅力に迫ってみましょう。

能「道成寺」

「道成寺」は、能の中でも最も有名な演目の一つです。この物語は、女性の激しい恋心と怨念が蛇という形で表現される、非常に印象的な作品です。

あらすじ

紀伊国の道成寺で、新しく作られた釣り鐘の供養が行われることになりました。しかし、寺の住職は女性を絶対に入れてはならないと厳命します。ところが、一人の白拍子(しらびょうし)の女性が供養の舞を舞わせてほしいと頼み込み、寺に入ることに成功します。女性は独特の拍子を踏みながら舞い、鐘に近づいていきます。

そして突然、鐘を落として中に入ってしまいます。住職は、かつてこの寺で起きた恐ろしい出来事を語り始めます。それは、真砂の荘司の娘が、毎年訪れていた山伏に裏切られたと思い込み、毒蛇となって道成寺の鐘に隠れた男を、恨みの炎で焼き殺してしまったという物語でした。僧侶たちが祈祷を行い、鐘を引き上げると、中から蛇体に変身した女性が現れます。

最終的に、蛇となった女性は自らの炎で焼かれ、日高川の底深くに姿を消していきます。

見どころ

「道成寺」の最大の見せ場は、女性が鐘の中に入る「鐘入り」の場面です。これは非常に危険な演技で、タイミングを誤ると大怪我をする可能性もあります。また、鐘の中での装束の付け替えも、シテ(主役)が一人で行う特殊な演出となっています。さらに、乱拍子(らんびょうし)と呼ばれる15分にも及ぶ難しい演技や、鐘を揺らす特殊効果など、「道成寺」には他の能にはない独特の見どころが満載です。

能「葵上(あおいのうえ)」

「葵上」は、源氏物語に基づいた能の演目で、嫉妬に狂った女性の生霊が蛇のように変化する様子を描いています。

あらすじ

源氏の正妻である葵上を、源氏の愛人である六条御息所が嫉妬のあまり生霊となって苦しめます。この生霊を退治するため、修験者が般若心経を唱えて祈祷を行います。

見どころ

「葵上」の魅力は、六条御息所の激しい嫉妬心が蛇のような生霊として表現される点にあります。シテ(主役)の踊りや表情を通じて、言葉を発せずとも強烈な感情が伝わってきます。

歌舞伎「蛇柳(じゃやなぎ)」

「蛇柳」は、歌舞伎十八番の一つですが、その由来や内容については諸説あり、明確ではありません。

現代の解釈

近年の上演では、悪七兵衛景清が平家の宝物である青山の琵琶を求めて高野山の蛇柳を訪れ、その根元に琵琶があると考えて伐ろうとすると、蛇柳の精が現れて景清と争うという内容で演じられています。

見どころ

「蛇柳」の魅力は、その神秘的な雰囲気と、蛇と柳が織りなす幻想的な世界観にあります。また、歌舞伎特有の華やかな演出も見どころの一つです。

能面に見る蛇の表現

能では、女性の激しい感情を表現するために、様々な面(おもて)が使用されます。中でも蛇に関連する面は、感情の変化を巧みに表現しています。

般若(はんにゃ)の面

般若の面は、女性の嫉妬と恨みを表現した怨霊の面です。上半分と下半分で表情が異なり、役者の動きに応じて表情が変化して見える効果があります。

生成(なまなり)の面

生成は、女が鬼となる途中の姿を模した面で、額の両側に短い角が生えかけています。般若よりも夫に対する未練の情が残っている心理状態を表しています。

蛇(じゃ)・真蛇(しんじゃ)の面

蛇や真蛇の面は、より激しい怒りの様子を表現しています。口から舌が覗いていたり、耳がなかったりと、人間よりも蛇に近い顔つきをしています。これらの面は、「道成寺」において般若の代替として用いられることがあります。

結び

蛇にちなんだ歌舞伎と能の演目は、人間の深い感情や欲望を表現する上で非常に効果的です。蛇という生き物が持つ神秘性や恐ろしさ、そして変化の象徴としての側面が、これらの演目に独特の魅力を与えています。これらの演目を通じて、私たちは人間の感情の複雑さや、愛と憎しみの表裏一体の関係、そして超自然的な力の存在を感じ取ることができます。

日本の伝統芸能が持つ深い洞察と表現力は、現代においても私たちの心に強く訴えかけるものがあります。蛇をテーマにした歌舞伎や能の演目を鑑賞することで、日本文化の奥深さと、人間の普遍的な感情の表現に触れることができるでしょう。これらの演目は、単なる娯楽を超えて、私たちに人間の本質について考えさせてくれる貴重な文化遺産なのです。

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